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私の幸運が人を幸せにできるのなら、全部あげる。あやこに、あげる。

降り続ける雨はない

FEELです。

もともとの私は、今の職種になる予定は微塵もなかったのです。

弁護士になりたかった。

早稲田に受かりましたが、家を出ることを親に反対され、高校当時の彼女と相談し、

彼女と、そして私の母親が望んだこの職種の大学に行った。

でも結局、大学デビューを満喫する彼女と別れてしまい、私は希望がなくなり、

もともと学科に興味もなかったので、授業に出なくなります。

音大だったので、ぼーっと、ホールでオーケストラの演奏を聴いていると、

次に彼女になる相手も、そのホールで演奏を聞いていて。

彼女はヴァイオリンを弾いていて、とても国際的な人で、日本中のクラシックを一緒に聴いて周わった。

大学の先生は、私が小学生の頃を知っていた人だった。

世の中は狭い。

自分の2世かのように育ててくれた。

就職活動の時、公務員各種、病院、保育所、スポーツ系、施設、いろいろ受けたけれども、

たった1つ、合格したのはお巡りだった。

これだけ落ちた自分には、今の職種は向いていない。

そう嘆く私に、彼女は失望し去っていった。

私はただただ、みんなに申し訳なくて。

人生で一番泣いた。

だけど、せっかくとった資格なので、活用しようかと県の団体に入った。

そこで、警○〇校の同じ職種の人に出会い。

「せっかく国家試験を通ったのだから、お巡りはやめて、就職し直しなさい。」

初めて会った人に、あんなに真剣に怒られたの初めてで。

おばちゃんだった。

翌日、祖母の家にあった広報から、今の仕事の採用試験を見つけた。

7年ぶりの募集で、知り合いもいない、予備校にも通ったことなかったけれど、お巡りが生きたのだろう。

当時は配属された部署も希望通りで、夢のようだった。

大学の先生が、泣いていた。

狐につままれたような話だったけれども、その職場に実習に来た子と付き合った。

実習中に仲良くなり、私に憧れ、LGBTに興味を持ちネットの掲示板にいたという、同じ職種を目指す女の子だった。

美しさ?の象徴と言う言い方は変かもだけど、Ms.○○経験者の美しい、世間知らずのお嬢様で、扱いに苦労した。

結局、「結婚したい」と言われて私が拒否したので、

喫茶店で、冷たい水をあびせられて、お別れ。

私には、一生とか、結婚とか、そういう願望はない。

LGBTはそういうモノを望んではいけないと思っているし、そういう幸せは存在しないと思っている。

でも人を愛する気持ちは、男女の愛よりも深いとは思うけれども。

仕事でゲイと関わることがあった。

福祉に関わる同僚たちが「気持ち悪い」と発言し失望を抱く中、私は何も言わずにゲイたちに向き合った。

その何も言わない、同感しない態度に、同じ職種の先輩が不信感を抱いた。

本を作ったり、新聞に載ったりと、若いのに目立ったのもよくなかったのだろう。

あることないこと陰で言われ、組合活動をしない私は戦う前に敗れて、異動になった。

異動先で上司になった人が、金髪だった。

それをみて、私も金髪にした。

同期は、「グレた」と心配してくれる人と、去る人がいた。

その頃、ネットで知り合った歌手とお付き合いした。

その後キョンさん、デザイナー、ダンサーと、二丁目界隈の人に紛れた。

見たことない煌びやかな世界で、地方で仕事するのがバカらしく思えた時期もあるが、

田舎者の私が頑張れるほど、優しくはない業界だと、見ていて思った。

教師と付き合って、そのあと体の関係で何人か付き合い、それでも理想の人に出会えなくて。

次にであったのは、女社長だった。

彼女とは、生き方とか、人生の楽しみ方とか、見えないルールをたくさん教えてもらった。

ある日、職場の所属長が「慰問に美川憲一と安室奈美恵を呼ぶ」と言い始めた。

冗談だとは思ったが、応接室のソファーがかわり、ホテルをとったり、市長が来る予定になったり、

これはまじか?

と信じはじめ、色紙を用意し、白衣を新しくした当日、朝4時に職場についたら、みんなお通や状態。

所属長は辞表を持っていた。

私はこの事件を、今でも偶然だったのか、仕組まれたものだったのか、判断がつかない。

数日後、私は取り組みを国に評価されていて、複雑な空気の中、

所属長と同僚5人と一緒に、厚労省に赴いて、式に参加した。

その夜。

所属長は事故で亡くなった。

事故では無く、捜査本部が作られる「事件」になった。

翌年、職場が無くなった。

金髪、そして、一大事件の渦中にいた私は、同年代の好奇心強めの人たちに、好奇な目で見られ感激された。

でも、事件については一度もしゃべったことはない。

周りは噂好きな女性ばかりなのに、混じらない私が異様だったのだろう。

数人の男性の同僚に告白され、ノンケの道を歩むチャンスかとも思ったが、ビアン で生きることにした。

次に出会ったのは、海外に住むアーティストさんだった。

大学受験で英語に力を入れた甲斐があった。

大阪のニコンサロンで個展をした時に、初めてお会いした。

そして、初めて海外に人に会いに行った。

当時の彼女は社会人からの学生でとても貧乏で、私は株をはじめた。

ちなみに今の私は株のお金で生きていて、本業の給料はずいぶん触っていない。

実は、自分がいくらもらっているのかも知らないし、いつがボーナスなのかもよくわからない。

売れないアーティストと海外の本物のアートを見まくっていたら、彼女の作品が変わっていった。

当時、仕事もクリエイティブに一から作り上げる系でとても楽しかった。

だが、500万円かけて作成した作品がニューヨークで認められ、年収が億を超えた頃から彼女は人が変わり、私とはつながりが無くなった。

仕事の結果も似た感じ。

祭りは、準備が楽しいものだと知った。

次に付き合ったのは、大学の先生。

哲学を教えていて、私は単純に面白いなと思った。

今まで触れたことが無い分野だった。

職場に届を出して、月に1~2回休みをとり、社会人大学に通った。

堅実な人だったけれども、コロナ禍で会えなくなったこともあり、

なので、職場で後輩たちに癒された。

ぴえんを好きになった。

高校生以来、「恋に堕ちた」、そう思った恋だった。

でも結果、ノンケのぴえんに酷いことをしてしまった。

人を傷つけた恐怖、アウティングされるかもという恐怖、

けれど、彼女を好きだという消せない思い。

向き合うのが怖くて、忘れるために仕事した。

そして、今は女医さんの洗練されたお部屋で彼女の帰りを待っている。

同じ医療、福祉で、すべて話さなくとも話がわかってもらえる。

休めない辛さも、わかってもらえる。

医者がいなければ人が助からない。

警察署にお巡り不在だと、市民が困るのと似ている。

お互い、いなければ、組織が回らない。

人生には、いろいろな雨が降る。

ツラくて、しんどいが、その経験は人間の宿命である。

けれど、いつか雨はあがる。

降り続ける雨はない。

そう、願う。

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